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【コダワリ #14 前編】磐石劫の果てしない石仏曼荼羅

「コダワリーノ、スキナーノ」は、こだわりのものや好きなことなどについて自由に語る場所です。14回目は、書籍編集のGTが石仏(せきぶつ、いしぼとけ)について語ります。

天人が百年にいちど、四十里四方もある巨石に舞い降り、その衣の薄絹が石をそっと撫でる。その百年おきのかすかな摩擦を、巨石が完全に削り取られてしまうほど繰り返してもまだ足りない。その思考の及ばないほど長い時間のことを「劫」(こう)といいます。退屈で面倒な作業をするときに使う「億劫」とは、この盤石劫(ばんじゃくこう)の逸話から、いくら輪廻転生しても果てないほど長い時の流れを喩えた言葉なのです。

世にごまんとある石仏を巡る道のり。それは凡夫である私にはまさに億劫な旅です。なのですが、幾星霜もそこに佇んでいる仏様を見つめずにいられません。私が光を失うまでに出会えるものはほんの一部だとしても、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の受難を免れた石仏が風雨という衣によって削り取られてしまう前に、津々浦々の石仏たちに会いたい。その一心が、私の靴底をすり減らし続けます。

積年の風雨に曝され摩耗した馬頭観音

石仏の魅力

石仏とは、石を彫って生まれた仏たちのことです。有名どころでは臼杵の磨崖仏や鋸山の百尺観音、諏訪の万治の石仏などがあります。なかでも私が好きなのは路傍や墓地、寺社境内の片隅にひっそりと佇む石仏です。造立した講や個人の信仰、願い、供養の思い、石工の技やこだわりを今に伝える石仏はとても個性豊かで、見ているこちらの心も豊かになります。寺院の本堂に大切に安置された仏像とはひと味もふた味も違う朴訥とした魅力があります。今回は私が出会った石仏たちのそんな魅力の一片を味わってもらえればと思います。とはいうものの、この記事執筆はかなり難儀でした。私とご縁をなした千を超える石仏を、総括するほどの言語を持ち合わせていないからです。そこでなるべく、遭遇する機会が多いであろう身近な石仏を仏様の種類ごとに区分けし、代表的な像容や特徴的な像容を備えたものを選び、私の知識の範囲でその縁起を含めて平易に紹介するようにしています。誤っている点などあればご教示いただけますと幸甚です。なお掲載している写真はすべて筆者が撮影し、SNS等で公開済みのものを含みます。

甲府の山中に座する千手千眼観音。個性の塊

おなじみの石仏、お地蔵様

さて、ひとくちに石仏といってもそもそも仏様は数多くいます。そんななかで多くの人に馴染み深い仏様がお地蔵様ではないでしょうか。お地蔵様は深い慈悲により六界あまねく衆生を救い、子どもを愛でる菩薩です。地蔵とは「母胎なる大地」を意味し、菩薩は「菩提薩埵」(ぼだいさった)すなわち悟りを開くための修業中の身分であることを表しています。悟りを開くと如来となります。

そんなお地蔵様は僧形であるがゆえほかの仏様に比べて人間らしいルックスを備え、デフォルメしやすく、広く人々の心を捕らえ信仰を集めてきました。子育地蔵や延命地蔵、また六地蔵などとして昔話などにも頻繁に登場するため現代でも認知度が高い石仏ですが、有名すぎるためか石仏イコールお地蔵様と思っている人も多いようです。

右手に錫杖、左手に宝珠を持った地蔵菩薩坐像
着飾った粋なお地蔵様
コロナ禍でお地蔵様もマスク姿

怒れる観音、馬頭観音

観音様といえば微笑みを湛えた柔和なお顔を思い浮かべると思います。そんな観音様の例外が馬頭観音(ばとうかんのん)。馬頭観音は観音様が変化した六観音の一尊で、馬が草を食むように煩悩を食い尽くす忿怒相の仏様です。六界では畜生道に現れます。いつしか人々は牛馬を供養するために馬頭観音を信仰するようになりました。そのため、かつて馬が行き交った街道沿いの路傍でよく見かける石仏です。いまでは死んだ競走馬を供養するためにも建てられます。

馬頭観音は頭上に馬の頭を冠するのが特徴なのでひと目で見分けられます。通常は忿怒相で三面八臂(さんめんはっぴ:顔が3つ、腕が8本の姿)ですが、柔和相、一面二臂、馬頭を2つ載せた双頭馬頭観音など、さまざまなバリエーションがあります。江戸時代後期以降に造られたものは「馬頭観世音菩薩」「馬頭尊」などと刻まれた文字塔が多い印象です。

忿怒相、三面八臂で馬頭印を結んだ典型的な馬頭観音の丸彫像。腕が欠損している
一面二臂で柔和相の馬頭観音
馬の面を2つ載せた双頭馬頭観音

告げ口する虫をやっつける、青面金剛

青面金剛(しょうめんこんごう)は庚申待(こうしんまち)の主尊です。人の身体には三尸虫(さんしちゅう)が潜んでおり、庚申の夜、人が眠っている間に身体を抜け出してその人の罪過を天帝に告げ、天帝は罪過に応じてその人の寿命を奪うという道教の言い伝えがあります。その夜に眠らなければ三尸虫は身体を抜け出せないというわけで、60日ごとに巡ってくる庚申の日に人々は講で集まって徹宵して宴をするようになりました。これを庚申待といい、庚申待を供養するために建てられたのが庚申塔です。長寿につながるということから、健康や疫病退散といったご利益に結びつきました。

庚申塔にはもともと庚申の「申」(さる)にちなんで三猿が彫られていましたが、仏教との習合によって青面金剛が主尊として彫られるようになりました。青面金剛はほかの仏様とことなりほぼ民間信仰の庚申待でしか登場しません。そのためか銅造や木造はあまり存在せずそのほとんどが石造で路傍に置かれ、石仏のなかではかなりメジャーな存在です。

青面金剛庚申塔は像容もにぎやかで楽しく、見分けやすいので石仏入門にも最適です。明王型の忿怒相で邪鬼を踏み、その下に見ざる言わざる聞かざるの三猿がいれば青面金剛です。そのほかの特徴として通常は一面六臂で剣や戟(げき)などを持ちますが、像によって手の本数や持物(じもつ)はまちまちです。通常はさらに左手でショケラをつかむ、鶏がいる、といった特徴を備えています。

一面六臂の青面金剛。上部に日月、蛇の頭髪、髑髏の首飾り、剣や戟、弓、法輪を持ち、左の第一手でショケラ(女人)の髪をつかむ。邪鬼を踏みつけ、両脇に雄鶏と雌鶏がいる。その下には扇子を持った三猿がいる。向かって右から見ざる、言わざる、聞かざる
こちらは両脇に童子を従え、邪鬼の下に四鬼神がいるタイプ。写っていないが台座に二鶏三猿がいる
庚申待の主尊は講によってさまざま。こちらは阿弥陀如来の庚申塔

いつもおだやか観音菩薩

観音様の石仏は江戸〜明治の頃にお墓として建てられたものが多く、古い墓地などに無縁仏として無数に安置されていることがしばしばあります。また、西国などの観音霊場の本尊を写した石仏群が寺の境内にあることもあります。一箇所でさまざまな観音石仏を拝めるので、霊場の写しは石仏巡りの絶好スポットです。

観音は「観世音菩薩」を省略した表現で、世の人々のことを見守りその声をもらさず聞くという意味です。般若心経の冒頭に登場する観自在菩薩も同じ仏様。観音菩薩は一面二臂で宝冠をかぶり、右手の指で花弁を開く形を作り、左手は未開敷蓮華(みかいふれんげ:蓮華のつぼみ)を持って立った姿で表されます。この像容の観音をとくに聖観音といい、聖観音が变化して千手観音、馬頭観音、十一面観音、如意輪観音、准胝観音(じゅんていかんのん)、不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)の姿で現れます。この变化した観音を六観音または七観音と称します。

如意輪観音は亡くなった女性や子供の供養塔として、また月待塔としての造立も多く路傍でもよく見かけますが、准胝観音と不空羂索観音は石仏としてはかなりレアです。単独で祀られることはまずなく、たいてい六観音や七観音の一尊として祀られます。ちなみにこの二尊の石仏は像容が似ていて見た目ではほぼ判別不可能です。わからない場合は尊名や札所番号が刻まれていないか確認しましょう。

未開敷蓮華を持った聖観音。右手は与願印を結んでいる
十九夜塔に刻まれた如意輪観音。如意輪観音は通常、片膝を立てて頬に手をついた思惟像(しゆいぞう:考えごとをしている姿)なのでひと目でわかる
六観音の一尊、准胝観音の立像。宗派によって不空羂索観音に代わることがある

ここまで、路傍で見かける機会の多い地蔵菩薩や庚申塔、観音菩薩を紹介しました。石仏探訪はまだ続きます。続きは後編として十三仏や珍しい石仏のほか、石仏探訪の始め方を語ります。後編は11月17日(木)公開です。