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『詰むや、詰まざるや』著者・長谷川晶一氏 ヤクルト日本シリーズ進出記念・特別コラム

 2021(令和3)年ペナントレースを制し、セ・リーグ覇者となったのは高津臣吾率いる東京ヤクルトスワローズだった。現役時代の高津監督は日本シリーズに四度出場して2勝0敗8セーブ、防御率は0.00という無類の勝負強さを誇った。

 日本シリーズ初出場となったのが1993(平成5)年、当時黄金時代を迎えていた西武ライオンズとの対戦だった。この年の夏頃からマスターしたシンカーを武器に、クローザーとして台頭。ヤクルト優勝の原動力となった。以降、95年、97年、そして2001年、日本シリーズの大舞台で高津は躍動。胴上げ投手として歓喜の瞬間を何度も経験したのだ。

 何度も修羅場を経験した彼が、「プロ生活の中でもっとも緊張した」と語るのは93年の日本シリーズ第4戦だった。前年は故障のためにシリーズ出場を果たせなかった川崎憲次郎の後を受け、1対0という緊迫の場面で高津は9回からマウンドに上がった。

「引退後、“今まででいちばん思い出に残っている試合は?”と質問されたら、僕はこの試合を挙げています。いちばん緊張した、いちばん興奮した、いちばん難しかった、いちばん思い出に残っているのがこの試合です。その後、何百試合も投げましたけど、この試合だけは試合後ののどの渇きが尋常じゃなかったんです。試合後、ベンチ裏で記者さんに囲まれて話を聞かれたんですけど、申し訳ないですけどうまくしゃべれませんでした。何杯も水を飲んでも、のどは乾くし、落ち着かないし、興奮も覚めなくてうまく言葉にできなかったんです」

 さらに、高津はこの年の日本シリーズについて、こんな言葉を残している。

「1993年の日本シリーズ第7戦、野村克也監督の下で初めて日本一になったあの日、僕は恥ずかしいぐらいに泣いてしまいました。このとき、“嬉しいことでグラウンドで涙を流すのはこれで最後にしよう”と決めたんです。同時に“優勝したときは笑っていたい”と思ったんです」

 この日以降、「グラウンドで泣いたことはない」と、高津監督は言う。その言葉通り、今年10月26日、横浜スタジアムでセ・リーグ優勝を決めたときも、11月12日に日本シリーズ進出を決めたときも、そこに涙はなかった。百戦錬磨の勝負師として活躍した高津臣吾の原点は「93年日本シリーズ」にあるのだ。

 あれから28年の月日が経過した。今度は指揮官となって、高津は日本シリーズに帰ってきた。今回激突するオリックス・バファローズとは、95年のオリックス・ブルーウェーブ時代に対戦している。このときは、野村克也による「イチロー対策」が功を奏して、仰木彬率いるオリックスを4勝1敗で撃破している。もちろん、胴上げ投手となったのは高津だった。さぁ、今年はどんな戦いが繰り広げられるのか? 「絶対大丈夫」を合言葉にした高津ヤクルトの最後の大勝負にはどんなドラマが待ち受けているのだろうか?

執筆:長谷川晶一

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