【コダワリ #12】シーカヤックを遊ぶ
シーカヤックと言っても、たいていの人はまずわからない。多くの人はシーカヤックをカヌーやボートと呼んでいて、この原稿の依頼をくれた同僚、水野さんからのメールにも「藤井さんはカヌーを……」と記されていた。シーカヤックはカヌーの一種なので、カヌーと呼ぶのも間違いではない。カヌーという大カテゴリーの中に、カナディアンカヌーやシーカヤック、リバーカヤックなどの小カテゴリーがあるイメージかな(諸説ある)。
「細長い船体で、上に穴が空いていて体を入れて乗るやつ」と説明するとなんとなく伝わるようだ。海面を切り裂いて進む直進性と、狭い岩間も縫うように進める機動性を兼ね備えているシーカヤックは「海の散歩」とも呼ばれ、年齢や性別、体力を問わず安全に楽しめるスポーツである。
ただ最近はSUP(Stand Up Paddleboard)人気に押され、シーカヤック人口は減っているのではないか。さすがに絶滅危惧種とまではいかないが、シーカヤックの話が通じる友人や仕事仲間はいない。これはちょっと寂しい。SUPのおしゃれさもちょっと悔しい。
はじまりは引っ越しから
10年ほど前に、海にわりと近い山あいに引っ越した。それまで暮らしていた田園都市線沿線のマンションからは職場まで40分ほどだったが、転居により通勤時間は2時間弱かかるようになった。往復で約4時間である。
今ではすっかり慣れたけど、ほかにも引っ越し当初は不便に感じることが多々あった。たとえば、うちの子どもたちは小学校に通うのに片道40分ほど歩かなくてはならない。最寄りのコンビニだって歩くと30分以上かかるだろう。歩いたことないけど。
「だったらいっそ、ここでしかできないことをはじめるか」と思った。都会で便利に暮らしていてはおいそれとはできないことを。不便さを逆手に取るようなおもしろい何かを……。なにごとも楽しんだもん勝ちだ。
あるのは山と海。引っ越し前から山へはよく行っていたので、ここは海で勝負だとマリンスポーツに狙いを定めた。そのうえで「長くつづけられそうなもの」「勝ち負けのないもの」を考える。オジさんが新しいことをはじめるとき、この2点は大事だ。今さらケガはしたくないし、他人との比較や勝敗でモチベーションを左右されるのも嫌だ。こうして行き着いたのがシーカヤックである。
シーカヤックの楽しみ
クラブの艇庫からその日の相棒とするカヤックを運び出し、ラッシュガードやライフジャケットを着て準備ができたら、パドルを握って海へと漕ぎ出す。ふだんはひとりで漕いでいるので、まわりには誰もいない。
完全なる自由だと言いたいが、じつはシーカヤックはどこに上陸してもOKという訳ではないので(たいていは地元の漁師や漁協との約束ごとがある)、上陸可能とされている浜や岩場、沖合の無人島といったポイントをめざす。ただし波風の状況や体調、気分によって目的地や航路を変更する判断もとても大事だ。
編集の仕事で勝手に予定を変えると怒られるが、ここでは誰にも迷惑をかけない。日常の金科玉条である計画や進捗、締め切りといった決めごとに縛られない瞬間は最高だ。
シーカヤックをはじめた頃は、海の上を漕ぎまわっているだけで楽しかった。波揺れの調子は心地よく、陸からはアプローチできない岩場や小島に行くのは男子の冒険心を満たしてくれる。海水が澄みわたる冬期などは、艇が宙に浮かんでいるような気分になったりもする(冬にはSUPもまずいない)。
やがて慣れてくるとキャンプチェアや小型コンロ、コーヒーミルなどをカヤックに積み込むようになり、上陸地点で調理を行う「カヤックめし」を覚えた。時には何もしないで陸にあがってぼぉーっとイスに座っていることもある(丘ではこれを「チェアニング」と呼ぶらしい)。最近は防水仕様のKindle Paperwhiteも必ず持っていく。たいていひとり漕ぎだが、シーカヤッククラブの仲間と遠方までツアーすることもあって、芦ノ湖や富士五湖、相模川、スカイツリー周辺水路にも漕ぎに行った。オジさんの新しい遊びは、こうしてだんだんと広がっていく。
どんなことでもマンネリは継続の敵だ。新しい血を入れないものは残らないし進化もない。次なる野望は、シーカヤックに1人用のテントを積んでのソロキャンプだ。
新しい企画が活動に情熱と勢いを与えるのは、遊びも仕事も同じらしい。