【編集者の書棚から】#本好きの人と繋がりたい Vol.15
出版社は本好きの集まり。この「編集者の書棚から #本好きの人と繋がりたい 」では、毎回数人の社員が、いち読者として最近手に取った書籍を紹介していきます。「書棚を見ればその人がわかる」とよく言われるとおり、インプレス社員の人となりが垣間見えるかも(?)なマガジンです。今回ご紹介するのは、『物語 「教育」誤訳のままで大丈夫!?―Educationのリハビリ、あなたと試みる!』と『やまめの六人』の2冊です。
「教育」という言葉に違和感を覚えますか?
「Education」(エデュケーション)の訳語は、一般的に「教育」とされています。本書は、教育現場の問題点を解決するために、その訳に異を唱え、「Education」の語源に光をあて、解決の方向性を示す、という内容になっています。
冒頭で、書名で投げかけた問い「Educationの訳は教育で大丈夫?」に対する答えとして、次の新訳を提唱しています。
(Educationの訳は)
「涵養成る/化育成ること」
そして、その意味を「天地の自然や社会・文化における多様で異なる境界や限界を超えた未知-未来への問いと気づきと学びを、あなたと私がそれぞれ呼び起こし引き出し、養い育ててゆく試み」と説明しています。
この説明だけ聞くと、「教育」の字面の単純さに比べ、とても難しく、哲学的、あるいは禅問答的な印象を覚えるかもしれません。自分も、だいぶ読み進めてからやっと、言わんとしていることが見えてきました。
「教育」を分解すると「教え育む」「教え育てる」となります。これは見方によっては、教え手と学び手に上下関係を形成して、教え手の知識やスキルを一方的に学び手に流し込むイメージが見てとれ、実際の教育現場も、「授業」という熟語が表すとおり、先生・講師がワザを授け、生徒がそれを受け取るという、一方向の関係性が完結していることが多いと思います。
Educationは、ラテン語などの語源をあたると、「人の持つ諸能力を引き出す」となるそうです。著者はそこを手がかりに、(漢字の「教育」の見え方とは別に)「教育」の本来のあり方は、先生も生徒から学び、一方向ではなく、双方向で引き出し合い、感化しあう機会であることが、本来のEducationのイメージだと訴えています(←ざっくりと要約しているので、著者の実際の考えとは異なっているかもしれません)。
さらにざっくり解釈を押し進め、「教育」を「教え育む」と一方的なイメージで読むのではなく、「教え合う、育み合う」こととして捉え直してみると、いろんなことがうまく進むのではないか、という訴えが本書の要点だと考えられます。
これによって何が変わるか、変えられるかという部分では、著者の中学校教諭としての25年の指導経験や、その後の大学教授時代の研究結果、そしてさまざま調査や交流をもとに、現場で実践されている実例が豊富に収録されているので、興味がある方はぜひ本書を見てみてください。
翻って、この本で得た内容を、自分が作る本にどう落とし込んでいくかについては、現時点ではあまり考察できておらず、これからの課題です。
「教え合い育み合う」ことを、書籍という形態で、どう実現、あるいはサポートできるかは、なかなかすぐには思い付かないのですが、その考え方を生かして、本文の作り方を工夫してみることはできそうな気がしています。(編集部・片元 諭)
存在しない“六人目”「おかしい、一人多い」
夏はホラーとミステリー小説ばかり読んでいます。今回は最近読んだ「密室ホラー×ミステリー」という、ホラー好きなら読む前からついつい胸が高鳴るような怪異系の小説をご紹介します。個人的にはミステリー要素は思っていたよりも薄く、ホラー要素のほうが強めだったかなという印象です。しかしそれもまた一興という感じで興味深かったです。
本作は銀行強盗”六人”のそれぞれの視点からストーリーが進んでいきます。……お察しのとおり全員悪人です(笑)。彼らが殺人一家に遭遇してから地獄がはじまり、お互いが疑心暗鬼になったりてんやわんや、お前は誰だ? なにやら様子がおかしいぞ、とゾクリとする一面もありました。
一番の魅力は、「銀行強盗”六人”のそれぞれの視点からストーリーが進んでいく」というところだと思います。視点が変わるごとに話の見え方が変わっていくのが面白く、意表をつく展開に引き込まれました。
また、タイトルにもある”六人目”ですが、中盤になっても誰が存在しないはずの六人目なのかわからなかったのです。恐ろしいのが読了後のいまも、”六人目”が人間だったのか怪異だったのか断言できないことです。ここの解釈は人ぞれぞれだと思うので、この”六人目”そして”やまのめ”の正体がなにか気になる方は、ぜひ読んでみてください。(編集部・今井あかね)